周囲を明るくするのがうまい人がいて、うらやましいと思います。自分もあんなふうになれたらと思いますが、キャラじゃないし……何からどう取りかかったらいいでしょうか。
思いやりの心で周りの人に何かを与えることを、「布施」といいます。
そしてお金や物がなくてもできる7つの親切を「無財の七施」(むざいのしちせ)といいますが、この中に、「身施」(しんせ)というタネまきもあります。
身施とは、体を使って周りの人に奉仕することです。ボランティアといってもいいですね。
ボランティアと聞くと、東日本大震災の被災地に、仕事を休んで行ったり、休日を返上して、地域のお年寄りのお世話をしたりするような本格的な活動を想像して、「私にはとてもできない」と言う方もいます。
でも、ちょっとした思いやりの心を持てば、「私には何もできない」ではなく、どんな人でも周りを明るく優しい気持ちにすることができるのです。
例えば、お年寄りの方と並んで歩いた時、さっと荷物を持ってあげたり、そっと車道側に回ったりして、体で思いやりの心を表す。
家庭やオフィスでは、たまったゴミを捨てる、机の上を整理する、なくなった消耗品や日用品を率先して買ってくることも身施(しんせ)です。
面倒くさがって見て見ぬふりをしたり、他人になすりつけたりすることが多い中、自分が率先してそうしたことをやってみると、いろいろなことが知らされます。
まず、今まで気がつかなかった周囲の人の苦労を知らされます。家庭なら、「トイレットペーパーを切らさず、補充し続けているのは大変なんだな」と知り、家族がしてくれているいろいろなことに感謝するきっかけになります。
会社なら、オフィスの備品の補充がそうですね。「今まで何にも考えずに使っていたけど、補充してくれる人がいたんだな」と、他人の苦労を察する気持ちが生まれます。
今まで気づかなかった周りの人の苦労を知れば、感謝の気持ちがわいてきますから、次第に人間関係もよくなっていきます。
また、誰がやってもいいような雑務を自然にできると、「あの人は腰が低い人だ」「謙虚な人だ」「苦労をいとわない人だ」「立派な人だ」といわれて、尊敬の念を抱かれるようになります。
また、「無財の七施」(むざいのしちせ)の中に、「床座施」(しょうざせ)という親切もあります。
床座施とは、座を譲るという意味です。つまり、譲り合いのことです。俺が、私がと我を通そうとしてケンカになるよりも、相手に譲ったほうがずっと気持ちよくやっていけます。
私の子供時代、弟とテレビのチャンネル争いでよくケンカになりました。話し合いで折り合いがつかず、最後は力ずくで私がチャンネルを奪ったことがよくありました。
そんな時、弟は悔しさのあまり嫌がらせで、わざとそばで大声で泣き叫ぶのです。意地になった私は、泣き叫ぶ弟の横でヘッドホンを着けてテレビを見続けていましたが、楽しくも何ともありませんでした。あの時、弟にチャンネルを譲ってやって、一緒に見たほうがずっと楽しかったなと思います。
今では笑い話ですが、大人になっても似たようなことをしている人が、けっこう多いように思われます。
宴会でどちらが上座に座るかでいがみ合う部長たち。「今度は俺の番」とカラオケのマイクを奪い合う人たち。車を運転すると、「絶対に自分の前に割り込みはさせない」と車間を詰める人たち。品切れになると聞いて、水や食料を買い占める人たち……。
そんな時、お先にどうぞと譲るのが床座施(しょうざせ)です。
無理に我を通そうと争うよりも、よいことをしたなと、とてもすがすがしい気持ちで一日を過ごすことができます。
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