仏教では、私たちの行いのことを、業種子(ごうしゅうじ)ともいわれます。
「業」とは、私たちの行いのことです。
「種子」とは文字どおり、タネということです。
お釈迦さまは、私たちの行い(業)は、ちょうど、種子のようなものなのだと言われ、私たちの行いをタネに例えられています。
なぜ、行いをタネに例えられているのでしょうか。
それは、種が花となり、実となるように、私たちの行いが、幸せや不幸せという運命を生み出すからです。
平成17年、兵庫県相生市の路上のアスファルトから奇妙な物が生えてきました。雑草かと思いきや次第に大きくなり、ポッコリと白い頭を出したのです。
大根でした。
アスファルトを突き破って大根が出てきた。すごいすごいと話題になり、ど根性大根「大ちゃん」と命名され、相生市の名物になったそうです。
アスファルトの下にあった大根の種が、硬い路面を突き破って芽を出す、その生命力に多くの人が心を打たれ励まされたのですが、すごい力を持っているのは大根の種だけではありません。
私たちの行いには、幸せ、不幸せという運命を生み出す力があるのだとお釈迦さまは説かれています。
行いが運命を生み出す力を仏教で「業力」(ごうりき)といわれます。
私たちが体や口や心で、やったり言ったり思ったりした行いは業力となって、消えずにその人に蓄えられます。
誰も見ていない所でも、真面目に頑張れば、それは消えずに力となって、あなたに蓄えられます。
思いやりの気持ちを込めて、優しい言葉を相手にかければ、それも、目に見えない力となってあなたに蓄積されます。
あきらめずに頑張るぞと心の中で自分に言い聞かせたことも、力となって残ります。
逆に、誰も見ていない所で、いいかげんなことをする。これも力となって、その人に残りますし、後ろ向きなことを言ったり、相手を傷つけるようなことを言ったりすれば、それも業力となってその人に宿るのだとお釈迦さまは教えられています。
種がいろんな花を咲かせるように、この業力がタネとなって幸せや不幸せという運命を生み出しますから、私たちの行いのことを、業種子(ごうしゅうじ)といわれているのです。
タネをまかなければ、何も生えてきません。
だから、「幸せになりたければ、幸せのタネまきをしなさい」とお釈迦さまは言われます。
ゴマ粒のような小さな種が、見上げるような巨木になるように、
吹けば飛ぶような種が硬い地面を突き破って芽を出すように、
何千年前の地層から発見された種でも水や土に触れると花を咲かせるように、
私たちの行いには、幸せや不幸せを生み出すものすごい力があるのです。
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