ひとの期待にこたえようとしてクタクタになっています。
私たちが仮面をかぶるのは、周りから少しでもよく見られたいと思うからです。はっきりいえば、私たちが他人からどう思われるかを全く気にせずに生きていくことは不可能です。けれど、あなたが「他人の目に映った自分 = 自分の全存在」と思っているとしたら、これは大変危険なことです。
なぜなら、「他人の目」という鏡は、あなたをちゃんと見て正当に評価しているのかというと、全くそうではありません。他人の目とは、その人の都合によってコロコロ変わるゆがんだ鏡なのです。
室町時代の有名な禅僧、一休の歌に、
「今日ほめて、明日悪く言う人の口、泣くも笑うもウソの世の中」
というものがあります。
この歌の意味は、今日まで「あなたはいい人ね」と褒めていても、都合が悪くなると「そんな人とは知らなかった、だまされていたよ」と、途端に態度を変えて悪口を言いだすのが他人なのだよ、ということです。
たしかに、「あの人はいい人」「あの人は悪い人」とよく言いますが、その基準は何かといえば、それを言う人の都合ですね。
自分にとって都合のいい人はいい人に思えますし、自分にとって都合の悪い人は悪い人に思えてしまいます。
こういう話があります。フランスの英雄ナポレオンが、民衆を前にして喝采を受けている時、部下が「閣下、あの民衆の称賛をごらんください!」と言いました。すると、ナポレオンは、「民衆の称賛ほど当てにならぬものはない。ひとたび戦争に負けると、私を断頭台に送れと言うのだから」と言ったそうです。
このように、人は、ある人が勢いのいい時は、「頑張れ、頑張れ」と褒めそやします。逆に、その人の旗色が悪くなると、手のひらを返したように非難します。これが「他人の目」という鏡の実態なのです。
だから、周りから悪く言われた、けなされたイコールあなたが悪い、ということではありません。あなたの行いが、あなたをけなした人の都合に、たまたま合わなかっただけなのです。
逆に、あなたが周りから褒めはやされても、自分はすごいんだと舞い上がって有頂天になるのも危険です。あなたの行いが、たまたま、あなたを褒めた人の都合に合っただけだからです。都合が合わなくなると、「そんなひどい人だったのか。だまされていた」と、見方がコロリと変わってしまいます。他人の評価に惑わされてはいけないのです。
もちろん、「周りからよく思われたい」という気持ち自体は大事なことです。よく思われたいという気持ちが、善い行いをしようとする原動力になるからです。
だけれども、無理をしていい人を演じようとするのは、無意味で疲れるだけではないでしょうか。「他人の目」というコロコロと転がる玉の上に、何とか上手に乗ろうとしても、いつ引っ繰り返るか分かりませんから、不安で疲れてしまいます。
「ブタは褒められてもブタ、ライオンはそしられてもライオン」という格言があります。
たとえ褒められたとしてもブタはブタです。けなされたからといって、ライオンはライオンです。周りから褒められようが、けなされようが、あなたの価値は少しも変わらないのだということを、覚えておいてください。
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