ほとけさまのお悩み相談室

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感情や自分の思いが入って物事を正しく見ることが苦手です。どうしたら客観的に見ることができるのでしょうか?

Q. お悩み

「誰でも簡単にネット副業で稼げる」という情報に飛びついて、かなりのお金をだまし取られてしまいました。
損失を取り戻そうと、今度こそ情報を選び抜いて投資したら、それも詐欺まがいの商材でした。
お金を失ったこともつらいですが、人を信じられなくなったことがもっとつらいです。

A. お答え

ありのままに見るのが正しい見方

私たちは、物事を見る時に、どうしても、自分の思いが入ってしまいます。
こうありたいという願望や、こっちのほうが好きだという思い、都合や先入観で、物事を見ていることが多いのです。

自分では、冷静で客観的なつもりでも、実際は、自己中心的な見方をしていて、周りと見解が食い違っているということもあります。

仏教では、曲がった見方を「邪見」(じゃけん)といわれます。

そして、物事をまっすぐありのままに見る努力をしなさいと教えられています。まず、正しく物事を見ることができないと、正しい判断ができないからです。

物事をまっすぐ、ありのままに見ることを仏教で、「正見」(しょうけん)といいます。

「正見」を教えた話に、こんなエピソードがあります。

室町時代のことです。町の中に、くねくね曲がった松がありました。
とんちで有名な一休禅師(いっきゅうぜんじ)と親交が深かった蓮如上人(れんにょしょうにん)が、そのそばを通りかかると、たくさんの人が集まって騒いでいます。

「皆さん、一体何をしているのだね」と尋ねられると、

「ああ、蓮如(れんにょ)さまですか、これを見てください」と言います。松の木の前に立て札があり、こう書かれているではありませんか。

「この松をまっすぐに見た者には、金 一貫文(いっかんもん)を与える。大徳寺・一休」

一休禅師のとんち問答だったのです。一貫文とは大金です。人々は、何とか、この松をまっすぐに見て、お金をもらおうとしていたのです。
ある者はハシゴをかけて斜めから見たり、ある人は木によじ登って上から見たり……。あの手、この手で挑戦しますが、どうしても、まっすぐには見えません。

事情を聞かれた蓮如上人(れんにょしょうにん)は、
「また一休のいたずらか。わしはまっすぐに見たから、一貫文をもらってこよう」
と、大徳寺へ向かわれました。

「おい、一休。まっすぐに見たから、一貫文もらうぞ」
と言われると、一休さんは、

「あんたなら、あかんあかん。立て札の裏を見てこい」
と答えます。
なんと、立て札の裏には、「本願寺の蓮如は除く」と書いてあったのです。

松の木の周りには、まだわいわいと人が集まっています。
「どうやってまっすぐに見られたのですか?」と問いかける人々に、蓮如上人は次のように答えられました。

「曲がった松を、『曲がった松じゃのー』と見るのが、まっすぐな見方なのだ。白い物は白、黒い物は黒と、ありのままに見るのが正しい見方なんだよ」

「さすがは蓮如上人」と、人々は感服したといわれています。

自分の考えには必ず、ゆがみが入っている

この松の木の話だと、なんだ、そうだったのかと納得できますが、これが身近な自分の問題になると簡単にはいきません。
私たちの目には、濃い色眼鏡(いろめがね)がかかっていますから、いざ、自分の利害や都合がかかわってくると、とても正しく見られなくなってしまいます。

例えば、他人の答案は、大変厳しく採点できても、自己採点となると、甘い評価しかできなくなってしまいます。
他人の欠点を列挙することはたやすくても、自分の欠点を並べるのは、難しいことです。

これは、自分をよく見たい、悪く見たくないという心が本能的に働いているからです。

宝くじが当たる確率と、不慮の事故で死亡する確率とでは、事故で死亡するほうが、8倍以上高いといわれます。
宝くじの1等賞は、1000万枚に1枚ともいわれます。これは確率的にとても低く、ないといってもいいぐらい起こりにくいことです。

私たちは1枚の宝くじを買っても、当たったらどうしよう、と期待に胸をふくらませますが、宝くじを買った帰りに交通事故で死んだらどうしよう、と心配する人はありません。
しかし、どちらが起こりうるかというと、宝くじが当たるよりも、事故で死亡する確率のほうが、ずっと高いのです。

また、昔、

「嫌いな人の本当より、好きな人のウソがいい」

と言った女性があったそうです。
「嫌いな人から、どれだけ本当のことを言われても聞きたくない。好きな人となら、ウソを言われていてもいいからそばにいたい」という気持ちを表しています。

このように、私たちは、自分の都合や好き嫌いで、物事を正しく見ることができないのです。

自分にとって都合のいいことは、めったにないことでもあるように思い、自分にとって都合の悪いことは、本当のことでも認めようともしない、という大きなゆがみがあることが分かります。
そして、そのゆがみが、意見の食い違い、理解の相違など、さまざまなトラブルの原因になっていることが多いのです。

自分の考えには必ず、ゆがみが入っているということをよく自覚して、物事をまっすぐに見ていこうと努力することが、幸せに生きていくうえで、とても大切なことです。

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