周りからどう思われるかばかり気になり、自分を演じてしまいます。
英語で人間を person といいますが、その語源はラテン語のペルソナからきているそうです。
ペルソナとは仮面という意味ですから、人間とは仮面をかぶっている生き物であるということでしょう。
高校の英語の授業でこのことを初めて知った時、私は大変な衝撃を受けました。
というのも、当時の私は、親や学校の先生、同級生、先輩に対して、それぞれどのように自分の顔を使い分ければいいか、とても悩んでいたからです。
私たちはいろいろな自分を、いろんな人の前で演じています。例えば……。
親の前ではよい子でいたい。
友達には一目置かれたい、面白い人だと思われたい。
先生には好印象で覚えられたい。
彼氏、彼女の関心をずっと保ち続けたい。
上司・同僚の前では有能だと思われたい。無能だと思われたくない。
部下や後輩からは足元を見られたくない、尊敬されたい。
近所の人や子供の前ではよい父親、よい母親でいたい。
こうした願望は、「よく見られたい」という私たちの「見栄」なのです。
そして、この見栄を満たすために、私たちは場所や相手によって、いろいろな仮面をかぶり分けているのです。
いろいろな仮面を使い分けられるようになると、「大人になった」といわれます。
でも、見栄を張ってあまり仮面をかぶりすぎると、素顔の自分が分からなくなります。
自分の素顔が分からなくなると、自分は何者かまで分からなくなり、自分が本当に望んでいることや、自分が本当にやりたいことを見失って、生きる力をなくしてしまうこともあります。
ある時、メルマガ読者の30代の女性からこんな悩み相談のメールをもらいました。
私は小さい頃から自分の感情を抑えて生きてきました。
自分がどうしたいのか、ではなく、周りはどうしてほしいのかという基準で物事を考えるようになっていました。
「これまでの人生で夢中になったことは何ですか?」と聞かれた時、何も答えることができなかったんです。
その時初めて、自分が周りからどう思われるかということばかりを気にして生きていることに気がつきました。いつも不安で、何かにおびえていて自信がないので自信のあるふりをして、自分の本心からどんどん遠ざかっていました。
この方は周りにいい顔をしようと、無理をして仮面をかぶって生きてこられたのです。
ところが、いつも周りの目を恐れて不安な気持ちが消えませんでした。そしてふと立ち止まると、どれが仮面で、どれが自分の素顔か分からなくなっていたのです。
この方だけでなく、私たちも無理な仮面をかぶりすぎると、窒息しそうになったり、あまりに重たい仮面だと、首が痛く、肩が凝り、倒れてしまいそうになります。
相手に合わせすぎて、もう自分が何を望んでいるのか、自分が何をしたいのか、分からなくなってしまうこともあります。
私たちを生きづらくさせているのは見栄です。人は見栄のために、なかなか仮面を外せません。
でも、自分らしく、幸せに生きるためには、あなたの顔にこびりついた仮面を外してみることが大事です。
「見栄を張らないようにする」というのは、あなたが、あなたらしく幸せに生きるタネまきの大きな一歩なのです。
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